遊動亭円木
主人公でこの本のタイトルにもなっている遊動亭円木は中途半端な存在だ。目を患って以来限りなく廃業に近い休業状態であるにもかかわらず周りが彼を見る目は噺家を見る目だ。遊動亭円木自身もすぱっと噺家に見切りをつけられず、噺家を廃業しようとしながら廃業してなんになるのか決められず又その中途半端な状態を楽しんでいるように読める。またこの小説内における彼の立場も中途半端。タイトルロールでもあるし間違いなく主人公でこの小説の中心にいるのは間違いない。ただ彼がいる話の中心はまるで台風の目のように中心でありながら真空地帯というか主人公であり且つ傍観者とでもいおうか。
”中途半端”と言う言葉を続けて使ったがではこの小説が中途半端だったかというと決してそうではない。笑酔亭梅寿謎解噺*1や七度狐*2は文句なしに落語小説(あるいは落語家小説)だと思うが本作は最初に書いたとおりそうは言えないように思う。本作中で登場人物達が引用する作品は落語以外にも詩やいろんな文学作品が出てくる。現代を舞台にした小説の登場人物としてふさわしいかは別にして遊動亭円木が盲目の吟遊詩人だったとしても話は成立したのではという気にさえなってしまう。
とここまで書いておきながら実はこの小説が好きになっていてもっと辻原氏の作品を読みたいと思わせるこの作品の魅力っていったい何だろうなぁ。<結論にならない結びでどうもすいません。