講談ガールズスタイル 於 なかの芸能小劇場

 時間ぎりぎりに飛び込んだが開演自体も少し遅れて最初から見ることが出来た。30人強の客入りか。

 前座、二つ目、真打ちとバランスよくそろった3人の会の第1回。(と言っても前座の京子さんは6月に二つめ昇進予定だが)
 京子さん、まずは抱負として普段の日常生活と噺を結びつけると語るがその抱負がかなったと言うべきなのかどうなのか。やけに長いマクラで地元中野の話から秩父での学校寄席と駅前の蕎麦屋の話、一緒に住んでいる家族の話まで。時間が無くなってきて、あわてて本編にはいるがこちらもなかなかよかったです。
 阿久鯉さん、初めて拝見したんですがいいですね。講談には本来出囃子が無いという話から(今日は出囃子だけでなく開演前や仲入り時にもジャズやポップスなど聴きやすい曲がかかっていた。)自分のおとなしさの話へ。たしかにマクラや素の部分はおとなしい感じなんだけど、稲葉小僧が啖呵を切る部分での迫力、大名の奥方が不審者を発見し家来に命じるシーン、それを受けた女中が追いかけるシーン、それぞれの人に合わせて雰囲気がよく出ていたように思う。これからもう少し聞く機会を増やしたい。
 お仲入りを挟んで、舞台に立ったまま三人で鼎談(三人なんだから鼎談に決まっているか)。自身が経験した変わったアルバイトの話や一門、師匠の話。
 最後に真打ち茜さんの登場。上記したとおり短編新作を二つ。内田春菊さんの原作は読んでいない話なのだが確かに彼女の作らしい感じ。もう一つ(おそらく)ご自身の作の方もそうだが茜さんのは講談らしくない。こう表現すると誤解を生みそうだが茜さんが講談ですと言っているから講談で一人語りですと言われればハイそうですかと納得させる彼女独自の世界がある。そんなに数多く聞いていないのでたまたまかも知れないが茜さんが演じる作品は皆似通っているように思う。ご自身の分身と思えるような立場の女性が主人公の作品ばかりだ。内田春菊さんの作品ではあるが”赤い唇の彼”を演じる際、そのマクラで初めて演じた際は主人公に共感したが今は主人公の母親に共感すると言っていた。自作自演の表現者が作品の登場人物に共感するのはあたりまえだし、その結果同じような立場の観客の支持を得られているのかも知れない。しかし同じような女性が出てくる噺ばかり聞いていると(今回の2作が似ているという意味ではなく)聞いている側からすれば飽きてくる。極端なことを言うと男性しか出てこない茜さんの新作講談が聞いてみたい。