稲の日本史

 小中学校の歴史の時間、縄文時代弥生時代の大きな違いは稲作が始まったことだと習った。覚えている人も多いだろう。なるほど近年いろんな遺跡が発掘されて稲作の始まりがもう少しさかのぼると言うニュースを見聞きしたこともあったがそれにしたって縄文時代末期のことで教科書を大きく書き換える必要があるなど思ったことなど無かった。が、この本を読むとその認識を改めなければならないようだ。
 これまでにも縄文時代の遺跡からイネの痕跡が見つかったのは一カ所や二カ所ではない。にもかかわらず教科書を書き換えるに至らなかったのはなぜか。それは縄文時代の遺跡でイネの痕跡は見つかっても例えば水路など灌漑設備後や木製の農耕機具など農耕を行っている痕跡がほとんど見つかっていないから。従っていくら古い時代の遺跡からイネの痕跡が見つかってもそれがそのまま稲作農業が行われている証拠にはならない。これがこれまでの通説であった。
 この本の著者佐藤氏の専門は植物遺伝子学。その専門知識を生かして縄文時代の遺跡から見つかったイネの実などのDNA鑑定を行った結果、それは現在の稲作に連なる水稲(本書では温帯ジャポニカと呼ばれている)品種とは異なる熱帯ジャポニカ品種であることを突き止める。熱帯ジャポニカ品種を用いた稲作は現在でも東南アジアの森林、山中などで行われている。但しそれは我々がイメージする稲作ではない。灌漑設備を整備し”水田”に育てるのではなく、焼畑農業で育てる陸稲であるという。
 つまり弥生時代(若しくは縄文時代後期から末期)に大陸から伝わった水稲稲作文化とは別にそのずっと以前に陸稲稲作文化が伝わり日本に根付いていたと筆者は言う。更に水稲稲作文化が伝わってすぐに切り替わったわけではなく少なくとも近世に至るまでこの二つの農業が併用されていたと筆者は主張する。
 この後現代文明批判にまで話が広がる論旨は少し飛躍しすぎかなと思ったが、DNA鑑定に新たな視点に著者の研究は遺跡や東南アジアの焼畑稲作の現場調査や平安以降に残された文書も検討してこれまでの日本の農業史を覆す主張をする。この学説がすぐに通説になっているわけではないようだが視点としてもの凄く新鮮で大変面白く感じた。